Discover阿部慧太の聖書と説教と日常と【創世記講解説教41】平和を作るイサク、その背後にあるもの 創世記26:14−33
【創世記講解説教41】平和を作るイサク、その背後にあるもの 創世記26:14−33

【創世記講解説教41】平和を作るイサク、その背後にあるもの 創世記26:14−33

Update: 2025-08-03
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2025年8月3日気仙沼聖書バプテスト教会で行ったメッセージです。創世記26:14−33からイサクの生き方と、それが可能になる背景を話しています。

☆こちらはメッセージ全体の構成と内容をまとめたものです。https://docs.google.com/document/d/1rO6yNlome8KQXnh9yxetJjMJhPWUZKyRr9lhPHsNHIA/edit?usp=sharing

☆this is the script of this message in Engilishhttps://docs.google.com/document/d/1kuDj0VRA3l8Jq9SGDVNXKRon7evW1DpTibof38BtlRs/edit?usp=sharing

☆ 以下はGeminiによる要約です。

この説教は、創世記26章14節から33節を基に、イサクの生き方を3つのセクションに分けて解説しています。冒頭では、日本の現在の水不足と聖書の記述が偶然にも重なっていることが触れられています。


1. イサクの柔和さ(創世記26章14-22節)

イサクが家畜やしもべを多く持つようになったことでペリシテ人に妬まれ、アビメレクから立ち去るよう言われます。アブラハムの時代に掘られた井戸はペリシテ人によって埋められていました。イサクは移住し、しもべたちが新たな井戸を掘ると、ゲラルの羊飼いたちがその水は自分たちのものだと争いを仕掛けてきます。イサクは争いを避け、2度も井戸を譲り、別の場所に移り再び井戸を掘ります。最終的には争いが起きない場所で水を掘り当てます。このイサクの姿勢は、イエス様の「柔和な者は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」という山上の垂訓の言葉を体現しています。詩編37章1節から11節も引用され、このイエス様の教えが旧約聖書からの継続的な考えであることが示されます。イサクは怒りを表に出さず、無理に所有権を主張することなく、新たな道を探しました。主はイサクを祝福し、「広いところ」を与えて「増える」(実り豊かになる)ようにしてくださいました。この「広いところ」は神の救いの実現を表し、「増える」は創世記1章28節の神の祝福の言葉の実現を意味するものです。


2. 平和を作っていくイサク(創世記26章26-31節)

イサクが次々と井戸を掘り当てる様子を見たアビメレクは、主がイサクと共におられることに気づき、友人たちと共にイサクの元へ平和条約を結びに来ます。イサクは「なぜ私を追い出したのに来たのか」と怒りを示しますが、アビメレクは主がイサクを祝福していることを認め、盟約を求めます。アビメレクらが以前イサクを追い出し、悪事を止めなかったにもかかわらず、イサクは宴会を催します。この宴会は、当時条約を結ぶ際の儀式の一つであり、敵意がないことや平和的な関係を望むことを示す行為でした。このイサクの姿は、争いを避けて平和的に関係を築く彼の性格を示しています。説教では、イサクのこのような姿勢を歴史上のユダヤ人の「したたかさ」と比較しています。この「したたかさ」とは、相手に合わせて変化しつつも、本当に大切なものはしっかりと握りしめる、ぶつかり合うのではなく柔軟に対応する姿勢を指します。これは、つい犯してしまった過ちで個人を排斥する現代の「キャンセルカルチャー」とは対照的であり、白黒つけられない人間関係において不必要な対立を避けるイサクの知恵が強調されます。


3. なぜそれが可能だったのか(創世記26章32-33節)

このセクションでは、イサクが柔和で平和的、そして「したたか」であった理由が考察されます。それは、神がイサクと共におられ、彼を祝福していたからだと説明されます。祝福されているということは、何かを「生み出すことができる」存在であるという意味です。イサクが自ら井戸を掘って水を生み出せたのに対し、ゲラルの羊飼いたちは他人が掘ったものを奪うだけでした。この概念は、枯れることのない泉を持つ人に例えられます。ヨハネによる福音書4章14節が引用され、イエス様が与える水(聖霊様)は、飲む者の内で「泉となり、永遠の命への水が湧き出る」と述べられています。キリスト者は、イサクのように内側に聖霊という枯れることのない泉を持ち、「生きた水」を周囲に分け与えることができます。愛や平和、ユーモアを生み出し、神の恵みを分かち合うことが可能なのです。この泉が枯れないのは、神との交わり(御言葉と祈り)があるからです。神が常に共におられるという確信があるため、惜しみなく与えることができ、譲っても再び祝福され、何かを生み出すことができると信じられます。キリスト者は、自らが意識せずとも、周囲の人々を祝福し、彼らの喜びや平和、聖さを保つ「地の塩」としての役割を果たすことができると結論づけられています。

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阿部慧太